東京高等裁判所 昭和53年(行ケ)2号 判決
審決を取り消すべき事由の有無について判断する。(取消事由(一)について)
まず、原告は、本件発明の電子写真プレート用光導電性素子が、光導電体と活性化物質との二成分で組成されているのに対し、引用例の素子は、光導電体、活性化物質およびロウの三成分によつて組成されているのに、審決は、両者の右の構造上の相違を看過した旨主張する。
そこで、引用例(特公昭三七―一六九四七号―成立に争いのない甲第五号証)の記載内容を精査するに、引用例の発明は、「電気写真的方法により反転像を作る場合、導光体層が少くとも一種のロウを含有することを特徴とする電気写真的方法により反転像を作る方法」(特許公報第一頁左欄最後の四行)に関するものであるが、その明細書には、その発明による光導体層に活性化物質を加えることによつて感光性を高くすることができることなど審決認定の如き記載(審決一丁裏一四行ないし二丁表三行目)があり(当事者間に争いがない。)、さらにその第二頁左欄下から四行目以下には、「導光体層を、場合により樹脂と共に先ず基層上に施し、次に導光体層にロウの薄層を被せることもできる。」との記載がある。
右の如き引用例の記載内容からしても、引用例の発明におけるロウの効果について不明確なところがあるにせよ、その明細書には、ロウを含有しない光導電体と活性化物質の二成分からなる光導体層に関する技術思想が開示されているものとみるべきである。
したがつて、審決が引用例の内容を誤認し、両者の成分数の相違を看過したとの原告の主張には、首肯できない。
(取消事由(二)について)
1 つぎに、原告は、本件出願当時の有機光導電体についての一般的認識からすると、本件発明の如くPVK(有機光導電体)とTNF(活性剤)との混合割合を桁違いに多く重量比一対一にまでふやすことによつて、感光領域を拡大し、かつ暗減衰特性を改善することは、引用例から当業者が容易に推考しえないことであると主張する。
引用例に、光導電体としてPVKが、また、活性化物質としてTNFが例示されていることおよび「光導体に適当に添加する活性剤の量は、簡単な実験でたやすく求めることができる。この量は使用する物質によつて変るが、一般には、光導体物質一〇〇〇モルに対して約〇・一~一〇〇モル、特に約一~五〇モルである。」(第四頁左欄末行ないし右欄三行目)との記載があることは当事者間に争いがない。
また、成立に争いのない甲第七号証(昭和五一年二月二日付の尋問書に対する回答を内容とする昭和五一年九月二二日付上申書)には、PVKとTNFとからなる光導電性組成物において、PVKとTNFを重量比で約一対一とすれば、望ましくない結晶化も起らず(TNFの濃度が五〇%を越えるとTNFの結晶化が起る。)に、かつ光導電性素子として最高の感度を得ることができることが明らかであるから、重量比一対一の臨界的意義がある旨の記載が認められる。
2 そこで、本件特許出願前の電子写真技術の分野において、光導電性物質に対する活性剤の添加量に関し当業者がいかなる認識をもつていたか、そして、その認識に立つて引用例を読む場合には、引用例の前記引用にかかる記載がどう理解されるべきかについて検討する。
引用例における「一般には光導体物質一〇〇〇モルに対して約〇・一~一〇〇モル、特に約一~五〇モルである。」との記載からは、添加割合の上限はモル比で1/10程度であるとする趣旨が窺える。また成立に争いのない甲第九号証(米国特許第三〇三七八六一号明細書―昭和三七年九月七日特許庁資料館受入)には、「最良の向上を得るのに要する添加物質の量はそのような物質の性質に応じて変化するものであるが、一般的には、ポリビニルカルバゾールの重量に対して〇・〇一~五重量パーセント、好ましくは一~二重量パーセントである。それよりもきわめて少量の添加によつても、ポリビニルカルバゾール層の感度をかなり増加させる。所望ならば、二〇重量パーセントまでの多量の添加物質を使用してもよい。」(第四欄五八行ないし六七行目)と記載されており、さらに成立に争いのない甲第一〇号証(英国特許第九九〇三六八号明細書―昭和四〇年七月一九日特許庁資料館受入)には、「添加する有機化合物(すなわち、電子受容体)は、強く着色された染料増感剤と区別するために、英国特許第九四二八一〇号では活性剤と称せられている。活性剤は、光導電性物質に対して少量、例えば、光導電性物質の一〇〇〇モルに対して〇・一~一〇〇モルの量で添加される。その理由は、もし活性剤の量がこの範囲の上限を超えると、光導電性物質の暗中における導電性が大きすぎる性質があるからである。」(第一頁左欄二三行ないし三五行目)との記載が認められる。これらの記載内容からみると、本件出願前にあつては、光導電性物質に活性剤を添加して感光度を高くできるとしても、その添加量をふやすと暗減衰が増大するものと考えられ、したがつて、活性剤は少量添加すべきものと認識されていたことが窺われ、光導電性物質に対する活性剤の添加量は、せいぜい二〇重量パーセント位が上限であると理解されていたものと推認され、右推認を覆えすに足る証拠はない。
本件出願前における光導電性物質に対する活性剤の添加量についての理解がこのようなものであるとすると、引用例に前叙のとおり「光導体に適当に添加する活性剤の量は、簡単な実験でたやすく求めることができる」との記載があるとしても、右の記載は、光導体として使用する有機光導性化合物や活性剤として使用する物質の各組合わせによつてその組成割合も変るものであるが、光導体物質一〇〇〇モルに対して約一〇〇モル程度の割合範囲内において、実験によつて適切な添加量をきめうるとの趣旨に解するのが相当であり、引用例における右の記載から本件特許出願前の当業者の認識の範囲をはるかに越えて、光導電性物質に対して活性剤を重量比一対一の割合(活性剤が重量で等部数混入されているので「添加量」という表現すら妥当しない。)で混合するという技術思想を引き出すことは容易なこととみることはできない。しかも、引用例の記載をみるに、引用例には、光導体として用いられうる多数の有機光導性化合物の一つとしてPVKが例示されており、また活性剤としてのTNFも活性剤として列挙された一〇〇を越える物質の中の一つにすぎないのであるから、引用例に示された有機光導性化合物と活性剤との組合わせはきわめて多数考えられるのである。このような数多くの組合わせのうちからPVKとTNFを選択し、さらにそのうえ、当時の当業者の認識限度をはるかに越えた重量比一対一の割合のPVKとTNFとからなる電子プレート用光導電性素子を推考することは、引用例の右の記載から容易になしえたこととみることはできない。
したがつて、審決が、PVKとTNFとを組合わせた場合、「一対一の点(重量部)を選択することは当業者が容易になし得る程度のことと認められる。」(三丁表四行ないし五行目)と判断したのは誤りといわなければならない。
この点の原告の主張は理由がある。
3 さらに審決は、「相違点(2)(本件発明では活性化物質の添加量は光導電体一重量部に対して、一重量部であるのに対して、引用例では活性化物質の添加量は、光導電体一〇〇〇モルに対して、〇・一~一〇〇モルである点)により奏する効果も引用例の記載事項と比較し格別顕著であるとは認められない。」(三丁表六行ないし八行目)としたが、以下のべるとおり、この点の判断も誤りというべきである。
即ち、原告は、PVKとTNFの割合を重量比一対一にまでふやすことにより、感光領域を拡大し、さらに暗減衰特性を劣化させることなく高感光度の素子を得ることに成功した旨主張しているところ、少くとも本件明細書(成立に争いのない甲第二号証)には、従来の光導電性有機重合体では、ルイス酸(活性剤)でドープすることによつて高度の感光性を得ることができるものの、暗減衰が大となるという欠点があつたが、本件発明はそれを改善し、暗減衰を小さくした点が本件発明の効果の一つである旨の記載がある(明細書第三頁下から二行ないし第五頁三行目、第六頁三行ないし六行目参照)。
そして、本件明細書添付の図表には、樹脂被覆光導電性素子との比較標準としてではあるが、アルミニユームシートに重量で等部数のPVKとTNFとを浸漬被覆した電子写真板(樹脂被覆を施さない板)の暗放電(暗減衰)の程度が示され、図表の説明もなされていることが認められる(明細書第一三ないし第一六頁)。
これに対し、引用例には、光導電性有機重合体に活性剤を混合した場合におけるその重合体組成物の暗減衰特性がどのようになるかについては何ら記載がないのであるから、暗減衰特性の改善に関しては、引用例は比較の資料になりえないものである。
たしかに前出甲第一〇号証(英国特許第九九〇三六八号明細書)には「もし活性剤の量がこの範囲の上限を超えると、光導電性物質の暗中における導電性が大きすぎる性質がある……」との記載があることは前叙のとおりであるが、右記載のみを根拠として、ただちに、本件発明の組成物が実用的でないとしてその効果を否定することはできない。
以上のとおり、審決は、本件発明と引用例との相違点(2)についての判断を誤り、その上で本件発明は引用例の記載事項から容易に発明することができたものと誤つた判断をなしたものであるから、違法として取消しを免れない。
〔編註〕 本件における発明の要旨および審決理由の要旨は左のとおりである。
本件発明の要旨
「重量で一部のポリビニルカルバゾールに対して重量で約一部の2、4、7、―トリニトロ―9―フルオレノンで形成される電子写真プレート用光導電性素子。」
本件審決の理由の要旨
(一) 本件発明の要旨は、前項のとおりと認める。
(二) これに対して、原審の拒絶理由で引用された特公昭三七―一六九四七号公報(甲第五号証)(以下、引用例という。)には、光導電体に活性化物質を加えることにより、感光性を高くすることができ、かつ該感光性を長期にわたつて安定に保つことができること、および該活性物質の添加量は、簡単な実験でたやすく求めることができ、光導電体一〇〇〇モルに対して約〇・一~一〇〇モルであることが記載されている。そして、更に、該光導電体としてポリビニルカルバゾールが、また、活性化物質として、2、4、7―トリニトロ―フルオレノンがそれぞれ示されている。
そこで、本件発明と引用例とを比較すると、両者は、光導電体と活性化物質とからなる電子写真プレート用光導電性素子である点で一致するものであるが、ただ(1)本件発明は光導電体であるポリビニルカルバゾールと活性化物質である2、4、7―トリニトロ―フルオレノンとを組合わせたものであるのに対して、引用例には、光導電体と活性化物質の組合わせとして、ポリビニルカルバゾールと2、4、7―トリニトロ―フルオレノンの組合わせがない点、および(2)本件発明では活性化物質の添加量は光導電体一重量部に対して、一重量部であるのに対して、引用例では活性化物質の添加量は、光導電体一〇〇〇モルに対して、〇・一~一〇〇モルである点でそれぞれ相違している。
よつて、上記相違点の(1)および(2)について検討すると、まず、相違点(1)については、前述の如く、光導電体と活性化物質とを組合わせた電子写真プレート用光導電性素子は知られており、更に該光導電体として、ポリビニルカルバゾールが、また、活性化物質として、2、4、7―トリニトロ―フルオレノンがそれぞれ、示されている以上、光導電体と活性化物質の組合わせとして、ポリビニルカルバゾールと2、4、7―トリニトロ―フルオレノンの組合わせを、選択使用することは当業者が容易になし得ることと認められる。
次に、相違点(2)について、光導電体に対する活性化物質の添加量は、簡単な実験でたやすく求めることができ、その添加量範囲も、前述の如く記載されているし、また、当審における尋問に対し、回答書で、光導電体に対する活性化物質の添加量と感光度の関係について、感光度は活性化物質の添加量に比例して上昇するが、一対一重量部以上では、2、4、7―トリニトロ―フルオレノンの結晶化が起こり好ましくない旨説明されている点からみて、光導電体の感光度は2、4、7―ニトロ―フルオレノンの添加量に比例して上昇することが認められるから、ポリビニルカルバゾールと2、4、7―トリニトロ―フルオレノンとを組合わせた場合、その2、4、7―トリニトロ―フルオレノンの添加量は引用例記載の添加量を基準にして、最良の結果が得られる点即ち、一対一の点(重量部)を選択することは、当業者が容易になし得る程度のことと認められる。しかも、上記相違点(1)および(2)により奏する効果も引用例の記載事項と比較し格別顕著であることは認められない。
したがつて、本件発明は上記引用例の記載事項から容易に発明することができたものと認められ、特許法第二九条第二項の規定により特許を受けることができない。